インタビュー
救急科/ Emergency department
自分の無力さを
突きつけられたあの日、
救急医として突き進む
決意を新たにした。

Koji
Hachiya
岐阜大学卒
2015年入職【初期臨床研修(2015-2016)】
救急科/救急救命医

大学時代は3年次まで工学部で学んでいたが「究極の人相手の仕事がしたい」と考え医学部を受験。
県内トップクラスの急患受入数・病院見学で感じた先輩医師たちの活気が決め手となり当院を選んだ。※インタビューは2022年1月時点のものです

みんなで乗り越え、
チームとして
強くなる

救急科を選んだのは「どんな患者さまも診れる医者になりたい」という想いがあったから。重症・軽症・小児・大人問わず、適切な初期判断で救うことができるこの仕事に面白みを感じています。手足の切断、転落外傷、中毒、精神疾患、感染症や心疾患など、挙げればキリがありません。おかげでどんな症例にも動じない対応力が身につきました。1時間に20名以上の患者さまを受け入れ、その頻度が1日中続く場合もあります。ただどれだけ忙しくても、コメディカルを含めたERチームのみんなで乗り越えようという気概は常に感じていますね。医者一人の知識や技術ですべての患者さまを助けることはできません。みんなで協力し合うからこそ県内トップの受け入れ数に対応できる、当院のチームの一体感を誇りに思っています。

みんなで乗り越え、チームとして強くなる

先輩を前に感じた
もどかしさを
忘れない

研修医時代で今でも忘れられないのは、1年目、「海の日」の当直を担当したときのこと。近隣のクリニックが休診日ということもあり、救急車からのホットラインが鳴り止まない1日だったことを覚えています。当時まだ、あまりの忙しさを経験していなかった私は、ER室のスピードと緊張感にこれまで叩き込んできた知識が何一つ思い浮かばない感覚に陥りました。ストレッチャーの上で苦しむ患者さまを前に、私にできたのは運び込まれた患者さまをひたすら検査室に引き渡すのみ。検査を通さずとも容態を迅速に判断し、動じることなく処置を施していく2年目研修医の先輩の姿に、ただただ自身の無力さを強く感じました。1年でこれほどの力量差があること、そのレベルを自分にも求められていること。
あのとき「今のままではいけない」と奮起したからこそ今があることは間違いありません。

先輩を前に感じたもどかしさを忘れない

似た症例でも、
患者さまは
一人ひとり違う

「悩むならベッドサイドで」というのは、かつて指導を受けていた先生に言われた言葉です。電子カルテの導入が進み、以前よりパソコンの前で考える時間が増えました。もちろん画面上の数字や画像も大切な検討材料です。しかし最終的な判断の決め手となるのは、患者さまのベッドサイドまで行き、診察すること。今でも自身の方針として心がけています。私たちは医学の知識を持っているだけ。目の前の患者さまにとっての最適解を、自分の知識だけで完璧に導き出すことはできません。1ミリでも最適解に近づくために、患者さまの声に耳を傾けることが必要なのです。向き合うことで救える命がある、この「究極の人相手の仕事」をこれからも追求していきたいと思います。

似た症例でも、患者さまは一人ひとり違う
蜂矢 康二